TOKYO ALL SAINTS VISIT TO
EPISCOPAL CHURCH OF CHRIST THE KING,
Visit to CTK in July, 2003 Tokyo All Saints'
Saturday, July 19, 2003 through Monday, July 28, 2003.

        アメリカ合衆国・メリーランド州
       「王なるキリスト教会」訪問を終えて
        2003年7月19日~7月28日
          東 京 諸 聖 徒 教 会
         メリーランド委員会 発行
         (2003年10月12日)

http://www.ecctk.org/eccknh03.htm


Guests: Ms. Jean Kiyoe Ogawa, Rev. Mary Yamano, Shun Kaneki, and Kazu Kurasawa.
        アメリカ合衆国・メリーランド州
       「王なるキリスト教会」訪問を終えて
        2003年7月19日~7月28日
          東 京 諸 聖 徒 教 会
         メリーランド委員会 発行
         (2003年10月12日)

             感  謝 主の平安

 今夏、姉妹教会「王なるキリスト教会」からのお招きに応え、山野繁子司祭、倉澤一太郎さん、金木俊太郎さんの三人の訪問が実現できましたことを感謝いたします。

 渡米にあたり前回の訪問の時と同様、教会員の皆々さまはじめ多くの方から熱き

エールをお送り頂き、多大のお支えを賜りましたことを心から感謝申しあげます。

そしてリンダ・フェルナンデス司祭はじめ「王なるキリスト教会」の皆さまの相変わらぬ心からの歓迎に感謝いたします。 海を越えての交流であっても、「One Lord, One Faith = 主は一人、信仰は一つ」であることを思いつつ。

 山野司祭はじめ訪問者の報告や体験記などを通して「王なるキリスト教会」との

交流の様子やこれからの交流を感じとって頂き、分かち合えたら嬉しく思います。

 この度も、小川清恵さんがスケジュールの後半、現地での引率、交流にご奉仕くださいましたことを感謝して申し添えます。              主に感謝

  2003年10月                 

                      東京諸聖徒教会 教会委員会

                          メリーランド委員会

         2003年メリーランド(MD)訪問日程

2003年7月19日 SATURDAY, JULY 19, 2003.

 山野司祭・倉沢 (Kazu)・金木 (Shun)ボルチモア着
Arrival of Rev. Mary Yamano, Shun Kaneki, and Kazu Kurasawa at Baltimore Washington Intl Airport. Dinner at Double-T Diner with the Burdnells, Moores, and Pat Smith. in Baltimore (ボルチモア).

2003年7月20日 SUNDAY, JULY 20, 2003.

 王なるキリスト教会日曜礼拝出席。礼拝後、持ち寄り愛餐会。
Service at Christ the King Church. Potluck Lunch at Christ the King Church. Presentation of gifts. Scenic Tour of northern Baltimore county, along Falls Road, with Pat Smith.

2003年7月21日 MONDAY, JULY 21, 2003.

 ボルチモア市内観光。
Tour of Downtown Baltimore with Pat Smith. Visit to Fells Point. Water-taxi to the Inner Harbor. Oriole Park at Camden Yards. Dinner with the Moores and Pat Smith at J. Paul's seafood restaurant.

2003年7月22日 TUESDAY, JULY 22, 2003.

 王なるキリスト教会プログラム見学。

 MD教区主教座聖堂見学。

 水族館見学。
Visit to ECCP at Christ the King Church. Visit to Cathedral of the Incarnation. Lunch at Pizza Hut with Pat Smith, Barbara and Vince Moore. Visit to National Aquarium. Dinner at Rev. Linda Fernandez.

2003年7月23日 WEDNESDAY, JULY 23, 2003.

 山野司祭帰国の途に。

 Kazu・Shunワシントン観光。スミソニアン博物館、ワシントン大聖堂など。
Departure of Rev. Mary Yamano at Baltimore Washington Intl Airport. Visit to Washington, DC, with Karen and Jackie Burdnell. Visit to National Cathedral. Visit to Smithsonian Museums: Natural History; Air and Space.

2003年7月24日 THURSDAY, JULY 24, 2003.

 キャロルさんが教えている中学校の夏季学習に参加。

 MDのNASA施設、Goddard Space Flight Centerを見学。
Arrival of Jean Ogawa at Baltimore Washington Intl Airport. Visit to Baltimore City summer school with Carol Gooden. Visit to National Aeronautics and Space Adminstration.

2003年7月25日 FRIDAY, JULY 25, 2003.

 ボルチモア市でアート展覧会。

 小川到着
Visit to Baltimore City Artscape with Carol Gooden.

2003年7月26日 SATURDAY, JULY 26, 2003.

 Kazu州都アナポリス観光

 Shun・小川

ニューヨーク観光
Visit to Ground Zero, New York City: Jean Ogawa, Shun Kaneki. Visit to Annapolis, State Capitol, Baltimore Yacht Club, U. S. Naval Academy, Lunch at Buddy's Crab House with Dick Janes: Kazu Kurasawa.

2003年7月27日 SUNDAY, JULY 27, 2003.

 王なるキリスト教会日曜礼拝出席。礼拝後、歓送会。

 マードック家でホームステイ先の人たちとの夕食会
Service at Christ the King Church. Picnic Lunch at Christ the King Church. Presentation of gifts. Lay Episcopal Ministry with Pat Smith. Dinner at the Murdocks.

2003年7月28日 MONDAY, JULY 28, 2003.

 Kazu・Shun・小川帰国の途に。

ムーア氏による日程表 (小川 訳)
Departure of Jean Ogawa, Shun Kaneki, and Kazu Kurasawa at Baltimore Washington Intl Airport.

          メリーランド教区王なるキリスト教会訪問の報告

                            司祭 山野 繁子

1 リンダ司祭との時間

 7月19日(土)朝、教会を出発、同日午後3時半にボルティモア空港に到着。お迎えに来てくださったナンシーさんが早速王なるキリスト教会の牧師館に案内してくださいました。リンダ司祭とご家族(息子さんのトミーとボブ、お連れ合いのルディ、そしてその母上、もう一人の息子さんはフロリダに滞在中)に温かく迎えられて、水曜日まで4泊させていただきました。リンダ司祭はとても忙しそうにコンピューターに向かって仕事をされている時間が多いようでしたが、夜のひととき、ソファで、または食堂でいろいろおしゃべりする時間も取ってくださいました。買い物のために車に飛び乗って近くのお店まで行くときも、帰る時に空港まで見送ってくださったときも、全部が大切な分かち合いの時間ともなりました。礼拝のこと、牧会のこと、家族のことなど、率直に語り合う時間を与えられたことに心から感謝しています。

2 教会の礼拝から

1)信徒奉事者の働き

 聖餐式で信徒奉事者が信徒の代表として果たす役割は、とても大きいもののようです。主日の朝はやはり大きな緊張のひとときです。短い時間で多くのことが牧師に伝えられ、皆が心静かに礼拝に集中できるように、あえて言葉には出さなくても信徒奉事者や教会委員、サーバー、オルターギルドの方たちが見事に連携してその時間を担っています。それは東京諸聖徒教会でもまったく同じです。

 聖餐式も終わりに近づき、陪餐後の感謝の直後、祝福の祈りの前に、信徒奉事者が、その礼拝の中で皆が共にあずかった聖餐の一部を病者のために届けるための派遣の祈りを、司式者と会衆が一緒に唱えます。この聖餐式で聖別されたパンとぶどう酒を病床にすぐに届ける働きが、会衆全体の祈りと励ましの中で行われていることに大きな意味を感じました。病床にある方々だけでなく、さまざまな事情で家から出にくい人々、施設で生活している人々、場合によっては刑務所や拘置所にいる人々にも運ばれるのです。教会の中にいる人々だけで満ち足れりとするのではなく、むしろそこに来られない人々への大きな配慮がはっきりと示されることによって、教会の交わりの広がりが目に見えるものとされていると感じました。

2)癒しの祈り

 会衆の陪餐中に、祭壇の左の部分で、数人の人々が肩を抱き合い、頭を近づけ合って祈りをしていました。陪餐が終わった方々の中で、特別に祈りを必要としている人々が、信徒奉事者に支えられ、祈られている姿でした。これも教会の働きとして、癒しのための祈りが会衆の目の前で、信徒たちによって担われていることであり、祈りを求め、祈り合うことが自然な信仰の形として生きていることを示されたように思います。

 ちなみに、あるファーストフードのお店に入ったとき、そこで働いている若い店員さんが、わたしが司祭であることを知ると、「あとでわたしのために祈ってほしい」と言いました。食事を終え、皆で店を出る前に、出口の所で彼女と手をつないで祈りました。こんなふうに、日常生活のあらゆる場面で祈ること、祈り合うことができることは、緊張の多い現代の都市生活において、オアシスのようなひとときなのではないかと感じました。

3)代祷

 聖餐式の代祷の場面では、担当される方が全体としての決まった祈りをささげた後、少し自由に、それぞれの祈りを声に出して祈る時間があり、牧師も会衆も、その場で大切な祈りの課題を分かち合います。最後に言葉を添えて締めくくるのは牧師の祈りですが、書かれていない事柄でも、その場で声に出されることによって、会衆全員の祈りとされ、その礼拝が生きた祈りの共同体の場となることを感じました。このような場面で呼吸が合い、互いに無理なく、豊かな祈りの時間を創れるということは、牧師と会衆の間の信頼と良いパートナーシップが築き上げられてこそなのだという印象を与えられました。

3 青年たちへのミニストリーと賛美の礼拝

 会衆の中にある世代間の開きは、やはり大きな問題になっているようです。1ヶ月に1回土曜日の夕方6時から9時半頃まで、教会の建物は青年たちのために用いられています。「ユース・ナイト」と呼ばれ、軽い食事の用意、遊びやおしゃべり、卓球で楽しむなど、それぞれの過ごし方があるようです。「今夜はずっと卓球をしてたよ」と言って、汗をふきながら、リンダ司祭の息子さんは遅く牧師館に帰ってきました。青年たちの「居場所」を提供すること、話し相手がいること、仲間づくりができること、そんなことが教会として大切にしていくことができるはずだと感じました。

 さらに、大人たちが長年守ってきた礼拝の形が、果たして青年たちにとってはどれだけ聖書の言葉が心に伝わり、神と語り合うときになっているだろうか、という問いをリンダ司祭は真剣に考えておられました。「礼拝する形」にはいろいろあって良いのではないか、ということを一緒に考えるために、日曜日の夕方、他教派の教会で開かれていた青年たちのための礼拝に参加するというプログラムを作ってくださいました。

 会衆席の前に大きなスクリーンには、礼拝のテーマと考えてほしい質問が映し出され、ギターなどの伴奏で賛美の歌が流れ、一人一人に問いかけるような説教があり、長い沈黙の後、祭壇のところに集まって祈るときがある…そのような礼拝でした。日本聖公会の礼拝に慣れているわたしたちにとっては衝撃的でしたが、これからの世代にふさわしい礼拝のあり方を考えていくためには、良いチャンスを与えられたのではないかと思っています。

4 多様性をよろこび、「地球規模」の交わりへと進む教会

 わたしたちが参加した主日礼拝では、リンダ司祭とナイジェリアからのクリスチャン司祭、そして私自身が祭壇で共同司式をさせていただきました。礼拝後にパット・スミスさんが、「今日の聖餐式では3つの大陸の人々が共に神を賛美することができました。これは

一つの町の教会としてはとても珍しいできごとなのではないでしょうか?」と言われました。王なるキリスト教会にはたくさんの人種、民族、文化を代表する人々が集まり、服装も体格もさまざまです。とくに最近はナイジェリア出身の方が増えておられるということ、これらの方々をとおして、アフリカで今起こっているできごとがとても身近かに感じるようになったと言われていました。

 そのような中で、わたしたち東京諸聖徒教会との姉妹教会としての交わりも大切にされているということを改めて感じさせられました。

5 これからの交わりに向けて

 これまで10年以上続けられてきた王なるキリスト教会と東京諸聖徒教会の交わりの中で積み重ねられてきた友情と信頼関係は、とてもしっかりしたものだと感じました。そのために、双方に良い意思疎通を継続してこられた方々の努力に改めて感謝したいと思います。わたしたちへの関心と理解を示し、力を惜しまずにささげてくださるこれらの方々を、神への信仰にあって共に成長する兄弟姉妹として、これからも大切にしていきたいと感じました。

 今、アメリカの若い人々にとって、日本の文化はかなり関心の高い分野なのだろうと思われます。そして東京諸聖徒教会と王なるキリスト教会という個別教会同士の交わりだからこそできることが、きっとたくさんあるのではないでしょうか。かといって、互いに無理をするのではなく、それぞれができる範囲で交流を続けることによって、わたしたちもずいぶん世界に向かって目を開かせられると思います。若い人々だけでなく、奏楽者、聖歌隊、オルターギルド、教会委員、日曜学校など、それぞれの働きや経験を分かち合うことは、この広い世界でわたしたちが、イエス・キリストをとおして与えられた神様への信仰を分かち合うことのすばらしさを味わうことは確かなことです。

 皆様のお祈りとお支えに心から感謝し、これからも王なるキリスト教会との豊かな交わりが展開されることを願って、この報告を終わらせていただきます。

           2003年夏メリーランド訪問

                                小川 清恵

今年もまた皆様のお祈りのうちに、倉沢一太郎さんと金木俊太郎さんが姉妹教会であるボルチモアの王なるキリスト教会を訪問しました。リンダ司祭をはじめ教会員方々のいつもと変わらない暖かい歓迎を受け、無事に10日間の学びの時を過ごしました。山野先生も一緒に前半の日程を過ごされ、リンダ司祭とこれからの交流について話し合いの時をもたれました。王なるキリスト教会の皆様も私達との交流を大切に続けていきたいとのことで、これからもいろいろな方面で共に活動していくことを改めて、確認しました。また、今後の交流について、若い人たちだけでなく、例えば聖歌隊、オーガニスト、婦人会などでも交流の機会があればお互いの活動について学び、またお互いの活動を知る事によって、理解が深まり、交流の輪がまたひとつ大きくなれるのではと思います。

私も後半の3日間に合流し楽しい時をすごさせていただきました。いつものスティ先のマードック夫妻をはじめ、以前からの教会員の方々との親交を深めまた新しい出会いもありました。特に今回の訪問では、27日の日曜日に聖歌隊に参加させていただき、主を賛美する歌で一緒に奉仕したことが、一番の思い出です。

来年はボルチモアから東京諸聖徒教会を訪問したいというお話がありましたので、また皆様と共に準備・計画をすすめ大いに歓迎したいと思います。

(当教会 メリーランド委員長)

              メリーランド訪問

                                金木 俊太郎

今回「アコライトとして」、倉澤さん、山野司祭と一緒に王なるキリスト教会を訪問させていただきました。

僕は正直な話、「アコライトとして」行ってほしいと言われたとき、かなり不安に思いました。アコライトについて全然詳しくないし、毎回のアコライトの仕事にしても教えられたことをやっていただけでした。

そんな自分が向こうに行って一体何をすればいいのか?という事を色々考えましたが、「何もそんなに難しいことを考えなくても、そういう難しい事は倉澤さんに任せて自分は自分なりに簡単でもいいから何か学んでこよう。」という少々無責任な考えに行き着きました。

そして、7月19日にアメリカン航空の飛行機で、成田→ダラス→ボルチモアという途中1回乗り換えをして無事にボルチモアに着くことができました。飛行機の中では緊張していて眠れず、さらに13時間という半日遅れの大きな時差があり、着いて早々眠気に襲われました。向こうの教会の方々にお昼ご飯(3時頃だからオヤツ?) に連れて行ってもらいましたが、あまりに眠くて食べている途中に寝てしまいました。そのせいで、その後の予定をキャンセルして、その日はそのままパットさんの家で休むことになりました。この日、初めて「日本語のしゃべれない外国の方」と会い、そのコミュニケーションの難しさに大変苦労しました。僕の中で一番印象に残っているのはこの事だったりします。

滞在2日目は日曜日でした。王なるキリスト教会に行きミサに参加しましたが、勿論全部英語で何をやっているか僕にはサッパリでした。アコライトの人達の動きを見ていましたが、最初に火を点ける以外の仕事は確認できませんでした。仕事少ないのかな?と思いました。その後愛賛会に参加して、そこで日本からのお土産がリンダ司祭に渡されました。皆さん喜んで下さたようで、とてもよかったです。この日は、色々な人に話しかけられましたがほとんど聞き取れず、返事をすることができませんでした。

3日目は、パットさん、山野先生、倉澤さんと僕の4人でボルチモア港を見学しました。パットさんは野球チーム「ボルチモア・オリオールズ」のファンということもあって、オリオールスタジアムの見学ツアーに参加しました。ガイドの人が球場について説明してくれるのですが、僕はその説明を理解することができず、ずっと山野先生に日本語訳してもらっていました。この日気がついたのですが、向こうは9時過ぎくらいまでずっと明るくて、子供たちが9時ごろまで遊んでいるのが見られました。

4日目には同じボルチモア港にある水族館に行きました。巨大なクジラの骨が天上からぶら下がっているのがとても印象的でした。イルカのショーを見ましたが、イルカの調教師(?)の人が英語でいろいろ話していたのですが、僕は相変わらず理解できませんでした。でもこの日くらいから、周りの人が言っていることがなんとなく聞き取れるようになってきました。しかし会話ができるのにはまだまだだと思いました。

5日目はワシントン市内の見学をしました。恐竜や、宇宙の博物館に行きましたが、どこもセキュリティチェックがすごく厳しかったのが印象に残っています。でも入場料は無料なようでした。

6日目、7日目共にショッピングをしました。「大家族用のスーパーマーケット」に連れて行ってもらいましたが、そのお店の大きさ、商品のサイズの大きさ(基本的に箱売り)に驚愕しました。7日目の夕方頃、ボルチモア市内でアートフェスティバルがあり、それを見に行きました。いろんな「芸術家」の人達、例えば点描画家、画家、陶芸家の方々がそれぞれお店を出して、自分の作品を売る。というお祭りでした。

8日目には、小川さんと僕の2人で、ニューヨークに行きました。僕は、今回のアメリカ行きの話があったときから、「グランドゼロ」を見てみたいと思っていたので、小川さんに話したところ、向こうの人に話してくださって、ニューヨークに行くことが出来ました。ボルチモアからニューヨークまでは、バスで3時間ほどでした。土曜日ということもあってか、ニューヨーク近くの道路が渋滞していました。ニューヨークでは、市内バスが出ていてそれに乗ってグランドゼロの近くまで行きました。グランドゼロの周りはまだ壊れているビルがあり、今もまだテロの傷跡が残っていました。そして、貿易センタービルがあった部分には大きな穴が開いていました。その跡地には、又世界1高いビルが建つそうです。その後はマダムタッソーの蝋人形館や聖公会のトリニティ教会、カトリックの教会等に行き、その後は買い物などをしました。ヤンキースショップで買い物をした後、その隣にあった吉野屋でお昼ご飯を食べることになりました。小川さんはこの日初めて吉野家の牛丼を食べたそうです。味は日本の吉野家とあまり変わらなくてよかったです。

9日目は日曜日でした。前回のミサの時よりはまだ何をやっているか理解できた気がしましたが、やはり自分程度の英語力ではちょっと難しいと思いました。この日もアコライトの人はあまり仕事が無いように思いました。ミサの後、パットさんと倉澤さんと一緒に「出張ミサ」というものに連れて行ってもらいました。これは、病気や怪我等で教会に来ることが出来ない人のために、信徒法事者の方がその人の家に行って、簡単なミサを行うというものでした。夕食はベジタリアンの方のお宅でいただきました。本当に豆腐や野菜ばかり出てきて、倉澤さんはちょっと物足りなさそうな感じでした。

今回の訪問で僕が一番感じたのは、向こうの方々のやさしさや、気さくさでした。レストラン等にいくと、店員の方と話が盛り上がったりする場面を何度か見ました。日本じゃまずありえない光景だと感じました。

又、今回ほとんど向こうの人と話すことが出来なかったので、もうちょっと英語を勉強しようと思いました。

今回、本当に貴重な体験をさせていただいたことを皆様に心から感謝いたします。ありがとうございました。

          メリーランド教区訪問 旅日記                             倉澤 一太郎

7月19日(土) とうとうアメリカへと旅立つ日がやってきました。 朝早くに教会を出立、日暮里駅で山手線から京成線に乗り換え、揺られ続けること約1時間。

成田空港の常連・小川清恵さんの案内によって、山野先生と私は無事に成田空港・北ウィングに到着した。そういえば前回、私が成田を利用したのはもう7年も前のこと。あの時は第2ターミナルだったので、第1ターミナルに来るのは本当に久しぶり。エレベーターから降りると自然と足が右へと向きましたが、小川さんに「こっち、こっち」と左の方へ呼ばれてしまいました。

そう、前回ここへ来た時は左側の北ウィングは拡張工事中で、右側の南ウィングだけでした。

懐かしいどころか、全くの知らない空間に思わず面食らってしまったのです。 そしてそこはチェックインを待つ人たちでごった返す、国際空港ならではの空間でした。

行き交うパイロットやキャビン・アテンダント(今はスチュワーデスとは呼ばない)たちが

キムタクや黒木瞳に見えてしまう、名作『グッドラック』の舞台に迷い込んだ気分になります。

しかし、カウンターに並ぶ前のセキュリティチェックの厳しさは私たちを現実へと連れ戻して

くれました。何が引っ掛かったのか、俊太郎君のスーツケースは係官のご指名を受けたのです。

チェック自体はすぐに終わり、放免となって我々はチェックインを済ませましたが、3人の席は見事にバラバラになりました。山野先生は機体のずっと後ろの方に、私は機体の少し後ろ寄り、俊太郎君は翼の真上辺りにと分散されたのです。ともあれ、お見送りに来て下さった小川さん、金木さんとのお別れの挨拶もそこそこに、我々は大急ぎでパスポートチェックへと向かいました。

カウンターは長蛇の列で、2時間前に到着しながら既に出発1時間前をとうに過ぎていたのです。

各自が順番に機内へ入って行くほんの十数分前に、搭乗ゲート前のカフェで旅の無事を祈ってのコーヒーを飲むことが出来たのが、なんとも幸運だったと思えるほどの慌ただしい出発でした。

7月19日(土)

19日の午前9時30分過ぎ、私たちの乗るアメリカン航空176便はダラス国際空港に無事に到着しました。ここで入国審査を受け、ボルティモア行きの国内線へと乗り換えです。

この空港、とにかくデカイ!ああ、アメリカに来たんだなあ、と感じる場所です。

入国審査ははっきり言ってイライラさせられました。

朝早いせいか、係官が少なくて審査ゲート前は長蛇の列。さらに、私たちが並んでいたゲートは係官がランプを点け忘れていたため、途中から合衆国市民用に切り替わり、最後尾に並び直しとなって私たちを慌てさせてくれました。その上、係官は急にいなくなったりと、やきもきさせてくれました。この時点で国内線出発まで残り40分を切ったのですが、無事審査を通過したため少し安心していました。しかし、アメリカの巨大空港は甘くなかった。

手荷物を回収して、国内線への乗り継ぎロビーへと向かったのですが、ここでもセキュリティ

チェックが待ちかまえていたのです。それも、これまでに経験したこともないような厳重なものでした。エックス線に金属探知器が待ちかまえ、ちょっとでも反応すればさらなるチェックです。

ここで私は、貼り薬を切るために持ってきたハサミを取り上げられました。イギリスやイタリア、フランスにも同行した愛着あるハサミでしたが、とうとうアメリカでお別れさせられたのです。

「そんな小学校の図工で使うような可愛いハサミをテロリストの道具と一緒にしないで」と言いたかったのですが、頑固そうな係官の一睨みに私は抵抗を諦めました。

「帰国までこの空港で預かろうか?」と言われても、帰りはシカゴ経由です

「あなたに上げるよ」と言ってお別れし、私は山野先生と俊太郎君のもとへ急いだのでした。

テロリストへの怒りは、余りにも長くて遠い搭乗ゲートへの道で消し去られました。

搭乗ゲートのナンバーはそんなに離れていないと思わせるものでしたが、とんでもない。

歩けども近くならないナンバーに次第に歩くスピードも速くなり、「これで同じターミナルなら、もし違うターミナルだったら絶対に間に合わない!」と思うようにもなりました。

何でもダラス空港には、乗客の移動のためのアメリカン航空専用のトレインだか、トラムだかがあるらしいのですが、とうとう分からずじまい。幸いにも、搭乗開始の数分前に到着しましたが、あれほど内心でスリルを感じて走ったのはかなり久しぶりのことでした。

ダラスで国内線に無事に乗り込み、いよいよボルティモア空港に到着です。

この時の私たちの心配は、出迎えに来て下さっている「王なるキリスト教会」の方々を見つけられるかという事でした。当然のことながら、空港にはいわゆる「外人さん」ばかり。

「サンタクロース」みたいな人が「ビル・ムーアさん」という、小川さんの表現を頼りに探すとしても、果たしてそんな人が見つかるのか?という思いでした。

「アッ、サンタクロース!」

いました。本当に「Mr.サンタクロース」という感じの人が出口に立っていたのです。

赤い服こそ着ていませんが、「出校途中のサンタクロース」という感じでした。

「Mr.ムーア?」

思い切って声をかけると、ドンピシャリ!

なんて見事な表現と感心しました。

そのすぐ後で、私たちは出迎えに来て下さったマードックさんご夫妻、バードネルさんたちにもお会いできました。どうやら皆さん、ムーアさんを目印にしていたようで、すぐに見つけられたみたいです。それから、私たちは荷物を回収して空港を出ることになりました。

そう、ここで私と俊太郎君は、山野先生とお別れです。

山野先生は「王なるキリスト教会」のリンダ・フェルナンデス司祭の牧師館へ、私たちはホームステイ先であるパット・スミスさんの家にそれぞれ向かうのです。

一抹の不安を抱えながらも空元気を振り絞って、ニッコリとお別れしたのでした。

アメリカはデカイ!

空港からのハイウェイを走るバードネルさんの車から外を眺めつつ、そう思いました。

道路の規模は日本よりも少し広めですが、何より道路の脇に建物とかが無く、草ッ原のままなのです。どんなにスピードを出しても、騒音を立てても苦情が出てくるとも思えません。

さらに、渋滞が無い。滞在期間中に「渋滞!」と言われたことは何回かありましたが、日本人の私たちにとってあんなのは渋滞でも何でもありません。「よく流れている」程度です。

120kmで走っていたのが90km,80kmになったのが我慢できないようで、「渋滞」に待たされる位ならば回り道(近道では決してない)をしても、120kmで走る方がマシなようです。

なお、この回り道は諸聖徒教会から東京駅に向かうのに、山手通りを走って渋谷に向かい、それから六本木を通って東京駅に向かうという感じの回り道ですが、恐ろしいことに時間的にはそれほど違わない位のスピードで走ってしまうみたいです。

パットさんも大きかった。

ホームステイ先のパット・スミスさんの家に到着すると、パットさんはアメリカンスタイルの

「ハグ」で出迎えてくれました。これを予感して私も「ハグ」で返しましたが、パットさんの

体格は予想をはるかに超えるものでした。 身長はともかく、横幅はチョットあるであろう私をパットさんは包み込んでしまったのです。

見上げれば、パットさんの顎が私の頭の上にあるという具合です。

「グランマ」とか「グランド・マザー」というのは「お祖母さん」という意味だと思っていましたが、「デッカイお母さん」のことだったのかと思ったほどです。

さらに、その大きなアクションを伴った感情表現に、私は何とも言えない安心感を持ってしまいました。自分が子供にかえり、物語の「森の熊さん」に抱かれた気分になったようでした。

私がそんななのですから、俊太郎君はパットさんに「ハグ」されると見えなくなってしまいます。

まあ、アメリカの少年・少女たちは10代になると巨大化する様子ですし、実際に信じられない

位のサイズの子たちを見てしまうと、俊太郎君が「針金のように」とか「小枝のように」なんていう童話の表現に見えてしまいます。この私がアメリカ人の中に入ると、全然目立たなくなるのですから、いたしかたないことでしょう。まあ正直、私には嬉しくなる事でもありました。

ちなみにパットさんの娘さんはパットさんよりも10cm以上大きく、息子さんはさらに大きくて2メートルを越えるとの話。家の玄関に何度も頭をぶつけたとのことで、とても信じられないと思っていましたが、息子さんのカブスカウト時代の制服を見て納得、納得。いやあ、デカイ!

それに、部屋のベッドの大きいこと。こんなに伸び伸びしたのは久しぶりでした。

初めてのアメリカン・ミール

パットさんの家に到着して30分位の後、「お腹は空いているか?」とジャック・バードネルさんに尋ねられました。時差もあって気付いていませんでしたが、夕飯の時間になっていたのです。

(待ってました!)

日本を出る前に、以前メリーランドを訪問した方から「お腹は減ってないと言ったらその日は

夕食なしになってしまい、月の明かりを頼りに音を立てないようにお煎餅をかじった。」と聞かされていたので、「日本人的な遠慮は危険!」と構えていたのです。

「イエス!アイム、ハングリー!」

大きな声で答えると、「OK!」と大きな動作付きの笑顔で迎えられました。

ちなみに俊太郎君は「それほどでも・・・」とのことでしたが、「問答無用!」で連行です。

食事に行った先はW・TT・ダイニングなるレストラン。

外見は日本のファミリーレストランのような店でしたが、繁盛している人気店のようです。

ここで先ず出てきたのが「バッファロー・ウィング」なる「鳥の手羽先・辛味焼き」でした。

これがなかなかイケル!

ピリッとした唐辛子風味が食欲をかき立て、小さいこともあって幾つも入ってしまいます。

「ウーン、ビール!」と思わず言いたくなりましたが、ガマンガマン!

レモン入りのミネラル・ウォーターで乾杯!したのです。

「試してみる?」

ジャックさんの娘のジャッキーさんが、私にチョコレート・シェイクを差し出しました。

こういう場合、「サンクス!」と言って試すのが私です。

「OH!スウィート!NO、ベリー・スウィート!」

そう、そのチョコレート・シェイクは甘すぎでした!

噂には聴いていたものの、アメリカのスウィートがここまで甘い物だとは・・・。

その甘さを言葉にすると、砂糖が飽和状態になって浮いているのが目に見えるチョコレートを溶かし、そこにコンデンス・ミルクを入れてシェイクして、液体状にして飲み易くするために溶けたアイス・クリームを加えてのばしたような味と言うところでしょうか。

私の反応に一同は満足したようで、大笑いしていました。

ジャッキーさんのお母さん・カレンさんは諸聖徒教会を以前訪問した折りに日本のスウィートを体験しており、余りにも甘くないことに驚いたそうです。その経験から、日本人がアメリカのスウィートを試したらどんなに驚くか、楽しみにしていたみたいです。まあ、確かに驚きました。

ちなみに、俊太郎君のリアクションは一同を満足させるにはほど遠いものでした。

すでに彼の疲労はピークに達しており、反応はどんどん鈍くなり、食事の途中で夢の世界に落ちてしまっていたのです。無理もありません。成田からダラスまでずっと独りで、緊張の余り眠れずに過ごし、日本時間ならば午前2時を過ぎて3時になろうという時間です。

俊太郎君が徹夜で遊んだりしない、昨今では珍しい規則正しい生活を送る好青年であることがアメリカの地で多くの証人の前で立証されました。めでたし、めでたし!

「起こしてはかわいそうだから、そっとして出ていこう。勘定は彼に任せて」

危機一髪、彼は皿洗いのピンチを脱することができました。みんな良い人たちで良かった!

さて、当初の予定ではこの日の夜は教会のユースの集まりに出席することになっておりましたが、食事中に眠りに落ちてしまうようでは無理というもの。

時差というものはなかなかに面倒なもので、私も目の前に雲が浮かんでいるような感じになってきました。そこで、パットさんの忠告に従って予定はキャンセル、ベッドに直行することにしました。ほとんど、バタンキュウという感じで寝たのですが、俊太郎君にいたっては部屋のドアを閉めることも出来ずに眠ってしまったため、ずっと言われ続ける羽目になりました。

実際には彼のベッドをセットした際にドアがベッドと布団に引っかかってしまい、それを直さないと閉められない状況になっていた為なのですが、直す手間も惜しいくらいに眠かったのが真相というところです。ちなみに私はキッチリとシャワーも使わせてもらいました。

日付変更線のために2日間に渡る長い19日となりましたが、日本を出てボルティモアに着き、なんとか無事に一日を終わることが出来ました。神様に感謝!です。

7月20日(日) 「王なるキリスト教会」デビューの日です。

正確には昨日、ほんの少しだけ立ち寄りましたが、本当に立ち寄っただけで礼拝も何もしていませんので、本当の意味でデビューと言って良いでしょう。

以前、訪問された方は「赤い教会」のイメージが残っていると思いますが、「青い教会」に変身していました。私なんかは「青」が好きなので「イイ感じ!」と思いましたが、後で合流された小川さんにはえらく不評でした。小川さんの話では教会員にも評判が良くないとのことで、予定ではもっとキレイになるはずだったそうです。

エアコンが無いために、夏季は暑くて礼拝ができなかった礼拝堂はエアコンがしっかりと入っていました。ちなみに、今年のメリーランドはなかなかに暑く、連日30度以下になることはありませんでした。ただ、湿度はそれほどでもなく、汗はかいたとたんに蒸発という感じの暑さです。

木陰に入って風を受ければ気分はもう地中海沿岸、とうたいたいところですが、滞在期間中に風を感じたのは港などの海近くに行った時くらいでした。そのせいか、メリーランドの人々は家の中に閉じ籠もっていることが多いのか、外を歩いている姿をあまり見かけませんでした。

驚かされたのは先ずは代祷でした。一応の形式はあるようですが、突然出席者が勝手に代祷を自分の言葉で唱え始めました。会衆席のあちこちから、短い祈りの言葉が聞こえてきます。

英語のお祈りだけではなく、明らかにそれ以外の言語でのお祈りが聞こえました。

後で知ったのですが、「王なるキリスト教会」では17の言語でお祈りがなされるとのことで、代祷の時はそれぞれの言葉でそれぞれの思いや、願いをお祈りするのだそうです。

さすがは多民族国家アメリカだと感じました。

その次は「平和の挨拶」です。

これは多分すごいのだろうと予想していたのですが、予想を上回りました。

出席者が一斉に歩き回り、全ての出席者と握手を交わし、親しい人と「ハグ」して回ります。

礼拝堂内を一周するような感じで皆さん動き回り、その間の礼拝は実に賑やかに中断です。

シャイな日本人たる私は思わず出遅れてしまいましたが、すぐに追いつくことができました。

フレンドリーなアメリカの人々は、誰かがボーと立っているのを見逃してはくれません。

我も我もとやってきて握手とハグの津波状態となり、いつの間にやらこちらも慣れてしまうという具合でした。

教会員、特に教会委員の方たちはいろいろなお仕事を担当していました。

聖別の頃には司祭様たちと一緒にオールターの周りに立ち、共にお祈りを捧げ、分餐を担当しますが、ほかに陪餐の間にオールターの脇で「ヒーリング」という祈りをします。

病気や悩みのある人たちの肩を抱いて共に祈る、というものです。これは初めて見るものでした。

また、愛餐会終了後に病気などで教会に来ることが出来ない人の元に、パンとぶどう酒を届けるという役目も担当していました。週替わりで配達する係りを決めているようです。

私たちが同行させてもらった時は、娘さんは教会に見えられたがお母さんが歩行困難のために来られないという状況での配達でした。配達係の方は、その日のお説教の要点も伝えないといけないとのことで、なかなか大変なお役目と感じました。ですが、聖餐を配達してもらった方は非常に嬉しそうで、わずかながらも元気を回復されたように見えました。

さて、礼拝後の愛餐会は実にアメリカらしいフリースタイルなものでした。

いつの間にか始まっており、食前の感謝も各自でするというものです。

食べ物は教会のキッチンで作ったホットドッグとハンバーガーをメインに、持ち寄ったサラダやピラフや煮込みなどの民族料理が並べられます。後から出される物も多く、早くから飛ばして食べてしまうと悔しい思いをするかもしれません。スウィート、つまりデザート類も多く並んでおり、ケーキ類からクッキーやチョコレートなど種類が豊富です。アメリカの人たちの甘い物に対する姿勢が感じられます。もちろん、味の方は「激・激・激甘」クラスが大半で、クリームもバタークリームが主のコッテリ系なので、さしもの私も手を出すことは控えました。

ドリンク類も豊富です。コーラやサイダー、レモネードの他に、ルート・ビールなる薬のような臭いの怪しげな飲み物がありました。「スヌーピー」が漫画の中で乾杯していたので、密かな興味を抱いていたのですが、「何じゃ、こりゃ?」としか表現出来ない味でした。

ウーム、スヌーピーの味覚、恐るべし。勇気ある人は、機会あればお試しあれ!

それとは別に、ホットドッグとハンバーガーは意外なくらいアッサリしていました。

焼く時にオイル類をあまり使っていないか、日本のモノの方が油っぽいかもしれません。

おかげで、けっこうな量がお腹に入ってしまいます。また、周りの食べっぷりにも触発され、バクバク食べると皆に歓迎されるので、ついつい食べ過ぎてしまいます。非常に危険です!

礼拝の後はパットさんの車で山野先生も一緒にドライブ行でした。

「スノーボールを食べに行こう。古いドライブインがちょっと行ったところにあるから。」と言われてパットさんの車に乗り込みました。「レベッカ」という名前のパットさんの車は2ドアのスポーツカーで、後部座席に座ると大きなシートのために前方がすっかり見えなくなります。

そこに同じようなスピードで走られると、時差ぼけがまだ治りきらない私と俊太郎君にはこれ以上ないほどの心地よい振動となり、あっという間に眠りに落ちてしまうのです。

ほんのちょっと気を失っていたつもりで起こされた時には本当に山の中、高原のドライブインのような店の駐車場でした。辺りには「王なるキリスト教会」の周囲には無かった農場のような雰囲気の草原や畑が広がっています。「ここはドコ?」という具合です。

「ここはニュージャージー州の山の中。」 何と言うことか!ほんの1時間くらい気を失っている間に、私たちはメリーランド州から州境を越えてニュージャージー州に来てしまっていたのです。恐るべし、アメリカン・ドライブ!

ちなみに、どのくらい移動したのかについてはみなさんでお調べ下さい。

ガラガラの道をハイウェイを120km前後、田舎道は80km前後で、渋滞知らずで走ったのですから、どのくらい走ったなんて考えるのもコワイくらいです。それも、スノーボールを食べる、早い話がかき氷を食べるために走ってきてしまったのです。もちろん、アメリカのカントリーサイドを見せてあげようとのお心もあるでしょうが、この「ちょっと」の感覚には驚きです。 ちなみに目的のスノーボールは店の定休日により、あえなく断念となりました。

その後教会に戻り、リンダ司祭と一緒に近くのバプテスト教会の夕の礼拝に出かけました。

学校の上にある、まるで礼拝堂のような教会でしたが看板は教会でした。

ここの夕の礼拝はさながらロックのライヴのようです。

聖書の言葉を歌詞としたロック調の曲と曲の間にボーカリストがメッセージを話し、聖職者がお説教をしてお祈りをするという具合で礼拝の形式は守っていましたが、歌は全員で歌いながら立てノリ状態になり、手拍子も入るという風で、若い人が多く出席して盛り上げていました。

建物の外見も、礼拝堂の造りも、伝統を感じさせる重い雰囲気の教会でありながら、祭壇ギリギリまでドラムやキーボードがひしめき合うように置かれ、その中でロック・ライブのような礼拝をするというのは、正直かなりのインパクトでした。

日本でも、こんなにロック調のコンサートを礼拝堂内、それも祭壇前で出来るでしょうか?

時代の流れをも敏感に受け入れる器があるということが、あのアメリカの巨大なパワーを支える一つの要因なのかもしれないと、ちょっと考えさせられました。

夕飯はリンダ司祭、パットさんと一緒に名物クラブ・ケーキを食べに出かけました。

クラブとはカニのこと。クラブ・ケーキとはカニ肉のボール揚げです。

なんでもボルティモア港に近いこの辺りはシーフードが盛んで、なかでもクラブ・ケーキがメリーランドを代表する名物料理として知られているようです。

こぶし大に丸く揚げたカニ肉のミートボールを、タルタルソースで食べるのが一般的な食べ方みたいですが、マヨネーズの味が苦手な私はケチャップで試しました。

名物に美味い物なし、などと言いますが、かなり美味しいと感じました。

しかし、それ以上に大きさと中身にビックリです。こぶし、と言ってもそれは子供のこぶしではありません。大人の男性のこぶしです。ちょうど、合掌したようなサイズだと思ってください。

そしてその中はギッシリとカニ肉で一杯なのです!食べ放題のカニ脚の肉を20本分くらいは詰めこんだのではと思わせるモノで、今年中はカニはもういいと思ったほどです。

大きいことは良いことだ!と言っているようで、さすがはアメリカ!と返したくなります。

7月21日(月)

先ずはメリーランド州最大の都市・ボルティモアの見学です。

州都はアナポリスという独立戦争の頃に活躍した都市がありますが、人口・経済ともに港湾都市ボルティモアが上回り、州都だと勘違いする人も多いでしょう。

メジャーリーグのオリオールズ、フットボールのレイヴンズがホームタウンとしています。

メジャーリーグ・マニアの人ならば、「ベーブ・ルースの生まれた町」、「ベーブ・ルースの最初のチーム」というトリビアが出てくるでしょう。「カル・リプケン」なんて名前が出てきたら十分にマニアです。「鉄人リプケン」引退以来、オリオールズはスター不在が続いており、リーグ終盤の上位いじめが楽しみな万年3位チームになってしまったとパットさんは嘆いていました。

アメリカの人々の、地元のチームに対する思い入れはかなりのものです。ここで「ヤンキース」なんて口にするのは恐れ知らずの勇者の行為のようです。もちろん、どこにも裏切り者はいるようで、ジャッキーさんは堂々と「ヤンキースが好き!」と言って両親に白い目で睨まれていました。ちなみにレイヴンズはもっと弱いようですが、ファンは「自分が見捨てたらレイヴンズはどうなる!」の思いで応援しているようです。

ちなみに「オリオール」とはメリーランドの州鳥である「椋鳥」のこと、「レイヴン」とは神話や伝説で凶鳥とされる「ワタリガラス」のことだそうです。

さて、この日のハイライトはボルティモアが誇るオリオールズの本拠地「カムデン・ヤード」の「ボールパーク・ツアー」でした。メジャーリーグに限らず、アメリカのプロスポーツのチームではファンサービスとしてガイド付きで球場を見せてくれるのです。普段はごく限られた観客にのみ立ち入りが許される特別席や特別フロア、マスコミ限定のTV中継室や放送席に入ることができ、さらに天然芝のグランドに下りてベンチに座って選手の気分を味わうという趣向です。

話には聞いていましたが驚きました。目の前でガイドさんがグランドに水をぶちまけましたが、あっという間に砂に吸い込まれて消えてしまう。雨が降っても、すぐ試合を再開させるるための工夫です。試合数が多く、移動が大変なメジャーリーグでは試合を簡単に中止出来ないからです。

そして何より、アメリカが民主主義の国であると同時に、貧富の差のきつい階級社会の国であることを強く感じさせられました。観客席が上の階に上がれば上がるほど、どんどん豪華になっていくのです。日本のドーム球場などでもそうかもしれませんが、その露骨さは驚きです。

特別席の中にも大きなランクの差があり、ランクの違う席の人は出入り口まで分けられており、会うことも出来ないようになっています。1階席が騒がしくも賑やかな遊園地ならば、2階席はビジネスマンや家族連れが行き交うシティホテルのロビー。そして3階は政財界のお歴々が集う、超一流ホテルのバンケットルームか会員制クラブといった感じです。売られている食事や飲料の値段も、調度品や歩く床までも目に見えるように格段の差が付けられていました。

さらに球場の外野席には壁が無く、フェンスのようになっており、十分にそこから試合の様子が覗き見られるようになっています。満員札止めの際のファンサービスなのか、チケットを買えない貧しい人たちに対するサービスなのかは分かりません。しかし、ボールパークの構造の中に貧富の差という、大きなカベが見えてしまうのも事実です。 強烈な階級社会、これもアメリカの一つの現実なのでしょう。

ボルティモア港の見学では「マクヘンリー要塞」が印象的です。 ここは第2次独立戦争とも言われる「米英戦争」の際の激戦地です。

イギリス艦隊が戦略的要衝であるボルティモア港の奪取のため、港の入り口のこの要塞を攻撃し、猛烈な砲撃を受けながらもアメリカ軍がついに守り通した場所です。この攻防戦で嵐のような砲弾の受けながら、要塞の「星条旗」が倒れることがなかったことに感銘を受けて、アメリカの国歌「星条旗よ永遠なれ」の歌詞がつくられたとのことで、アメリカ市民には特別の思いがある場所になっているようです。こんなところからも、アメリカ人の「民主主義を守る者の誇り」が感じられます。「民主主義」はアメリカが戦って勝ち得たもの、守り通してきたものであり、これからもずっとそうやって守り伝えていくものだと信じているように感じました。

また、「民主主義」を知らない国の人々に伝えることは、アメリカの崇高な使命と信じている人も少なくないようで、そうした人たちは「民主主義」を知らない国の人々はアメリカの「伝道」を待っており、アメリカが赴けば喜んで受け入れてくれるに違いないとも考えているようです。

最近のデータではアメリカ人は外国に出かけたことのある人は少なく、出かけようと考えている人も多くないそうです。広い国土と、多様な生活習慣を持つ人が多く住む国家であるがゆえに、国内だけで満足してしまいがちなのだそうです。結果、アメリカの考え方、やり方が世界基準と思い込む人が生まれてしまうみたいです。そうした考えの蓄積が最近のアメリカの行動の原因の一つになっているようにも感じます

私たちはアメリカの隣人として、アメリカの人々に対して「地球にはアメリカ以外にもこんなにいろいろな国があり、人々がいる。そしてそれは悪いことでも不快なことでもなく、面白いものなんだよ」と発信し、興味を向けさせるように語りかけ続けないといけないと考えます。

その意味でも、諸聖徒教会と「王なるキリスト教会」の交流は重要だと感じました。

7月22日(火)

先ずは「王なるキリスト教会」でデイケアーの見学です。

これは小学生を休みの日や放課後に教会で預かる学童保育のようなものです。

教会委員の方がプログラムを作成したり、物品の購入などの準備を担当し、子供たちの遊びや映画鑑賞などの現場指導は若いボランティアに任せる形で運営していました。

プログラムを作成する委員の方たちは仕事を定年退職した方がほとんどで、それらの方たちが豊富な経験と知識で経験不足な若者をサポートしており、上手な役割分担によってそれぞれが気楽に携わっているように感じました。

また、教会では読書クラブなど様々な種類のクラブ活動が行われています。礼拝だけの繋がりだけではなく、共通の趣味によって教会員同士がより深い繋がりで結ばれるように活動しているみたいです。このクラブには教会以外の地域住民も少なからず参加しており、教会がその地域のコミュニティ・センターの役割を担っている事がよくわかります。

見学はほんの十数分くらいで終わりました。案内をしてくれた教会員の方にとっては、気合いを入れて見せるようモノでもないという感じです。彼らにとってはごく当たり前というムードが、私にとってはさらに驚きでした。

貧しい人々への給食サービスの倉庫も見せてもらいましたが、チリビーンズやコンビーフなどの缶詰が並んでおり、温めるだけで配れるものばかりというのが印象的です。

日本ではご飯を炊いたりなど人手と手間がどうしてもかかりがちですが、アメリカの食事は想像以上に電子レンジが活躍する傾向にあり、人によっては「家では料理をしない」と豪語されます。

レトルト食品や冷凍食品が「母の味」になっている人も珍しくないようで、その点では給食活動もかなりラクになっているみたいです。

その後はメリーランド教区の主教座聖堂と、ボルティモアの水族館の見学です。

主教座聖堂は立派な石造りの大聖堂でした。印象に残ったのは地下礼拝堂と「子供の碑」です。

教派を越えたエキュウメニカルな礼拝のために使用されているとのことです。

「子供の碑」はメリーランド州で非業の死を遂げた、犯罪の犠牲者となった子供たちを悼んで祈りを捧げるようになっているエリアです。その犠牲者の数の多さに驚くとともに、凶悪事件が多発するアメリカ社会の暗い現実にも改めて驚かされました。メリーランド滞在中は全く危険を感じることはありませんでしたが、ドライブで通過したダウンタウンの家並みや街角の光景に言いようのない暗さを見ることはありました。友人の家を訪ねても、自分の家では無い地域では「余所者」としてかなりセキュリティに気を配って行動するのが常のようです。夜中にコンビニエンス・ストアに出かけられる日本の現状は、まだまだ恵まれているんだと感じました。

水族館は規模もそうですが、ハンデを持つ人々への様々な配慮、バリアフリーの考え方の浸透に驚かされました。エレベーターやエスカレーターが順路に従って上手に配置され、段差は可能な限り除かれ、幅の広いスロープが地下から最上階までをつなげています。順路自体も計算されており、どちらに進むかで迷うことがないように設計されています。日本の水族館や博物館などで必ず見かけられる迷子が、極力出ないようにしているのでしょう。また、子供を監督する保護者の責任感も強いようです。町中では、まるで犬の引き綱のような長いストラップを付けられて、親から離れないようにされた幼児の姿がよく見られました。我が子を車の中に閉じこめたまま、パチンコに興じる親の存在などアメリカでは考えられないことでしょう。

こんなことにも日本とアメリカの「常識」の違いや差に驚かされます。

さて、この日の夜はリンダ司祭の牧師館で、明朝に日本へ帰国される山野先生の送別のバーベQパーティでした。いいかげん、アメリカン・サイズの食事に慣れたと思っていましたが、またも驚かされました。サイズ的には日本のモノと変わらないアウトドア用のバーベQグリルの上に、隙間無くギッシリとチキンやスペア・リブが並べられ、フタを被せられてキッチリとスモークでいぶし焼きにされています。「ウーン、なんて本格的!」と、思わずうなります。

出席者はリンダ司祭のご家族のほか、パットさん、ムーアさん一家という感じで始まり、後からバードネルさん一家や近所の子供たちなどドンドン増えていきました。

なるほど、こんなに参加者がいてはこんなに沢山のチキンやスペア・リブを焼くのも道理、と思っていましたが、グリルが休憩に入る様子は全く感じられません。1回目、2回目、3回目と焼き終わり、次々に食卓へと運ばれては胃袋の中へ収められますが、その度に新しいチキンとスペア・リブが焼かれていきます。全部でどの位の量が焼かれたのか、見当もつきません。

もちろん、肉類だけではありません。パンにサラダ、寿司が並び、ケーキやアイスクリームなどスウィート類もしっかり用意されています。ケーキはホール(7号サイズ?)、アイスクリームはガロン(約3.78リットル)のバケツみたいなサイズです、念のため。

もし、アメリカの人、それも若い人と食事をすることになったならば、最初は食べ放題の店へ行くのが良いと思います。余程の賓客か食通は別ですが、量が少ないと若い人は満足できません。

レベル的には日本の体育会系の現役選手クラスだと思えば大丈夫です。また、スシやスキヤキは有名ではありますが実は分かっていない人も多く、生魚や生卵がダメな人も少なくありません。

むしろ、おおざっぱな焼き肉や鉄板焼、焼き鳥が食べやすいみたいです。日本に慣れたところでトンカツ、スキヤキ、シャブシャブ、火の通ったシーフードに進むのが良いと思います。

味に関しては余り気にしなくて大丈夫です。ファミリー・レストランでも十分でしょう。

注意すべきは飲み物です。アメリカではソフトドリンクは飲み放題が一般的なので、人によっては信じられないくらい飲みます。空に近くなったら、お代わりを気にしてあげて下さい。

また、話し声が大きな人が多いので、少しくらい騒いでも平気な店がいいでしょう。

もちろん例外も多いと思いますので、先ずは相手に尋ねて確認してみる、これが一番です!

7月23日(水)

アメリカ合衆国の首都ワシントンDCの見学です。

先ずはワシントン・ナショナル大聖堂です。

大統領が国家の大事の時などに訪れて祈る、国家聖堂なのですが、運営はアメリカ聖公会が担当しているとのことです。外見もすばらしく立派で、アメリカの威信を感じさせる荘厳さです。

ただ、ジョーク好きなアメリカ人が建設したものだけに、外観を飾る魔除けのガーゴイル像に混じって、映画「スターウォーズ」の「ダース・ベイダー」の像が飾られています。

日本ならば何でしょう。伊勢神宮か東大寺の鬼瓦の中に「水戸黄門」か「石川五右衛門」の瓦を混ぜて飾ってしまう、そんな感覚でしょうか。実際の効き目はどちらの方が上か分かりませんが、それを実際にやってしまう辺りが「さっすが、アメリカン!」という感じです。

中は天井も高い、荘厳そのものの造りで、静寂が支配しています。

私たちは幸運にも他の観光客と一緒に、昼の聖餐式に参加することができました。

不思議なもので、それまでは荘厳さにただ圧倒されているばかりで、ひんやりとした空間に冷たさすら感じていましたが、聖餐式に参加しますとそれらが居心地の良い空気に変わります。

教会や聖堂というものが見学をする観光スポットではなく、礼拝をする場所なのであり、それによって大変居心地の良い場所になるのだということが肌で分かります。

その後訪れたスミソニアン博物館は、噂通りのとんでもない"博物館群"です。

全部で16の博物館、美術館の集合体であり、ひとつひとつがまた大きな建物です。

個人的に好きな自然史博物館などは、おそらく一日中いても飽きないほどのコレクションを抱えている上、まだ未整理の資料が山積みだそうです。他の建物も同様だと言うから呆れます。

有名な航空宇宙博物館はさながらテーマパークです。

ロケットにミサイル、飛行機はライト兄弟から戦闘機、爆撃機までズラリと並んでいます。

テーマパークの偽物と違って全てが本物で、本物ならではの迫力に満ちています。

観光客はみな喜んで見学していましたが、ひねくれ者の私には素直に喜べませんでした。

なんか、「アメリカの力を見たか!」、「恐れ入ったか!」と言われているみたいで、ちょっと疲れた気分の方が強くなったのです。それに大きな顔をしているのが軍用の戦闘機やミサイルなので、「人殺しの道具を誇らなくても・・・・」という感じもあったのです。

むしろ、他の学術的、芸術的なコレクションの博物館の方にこそ、素直に感嘆できました。

さらに、あれほどのコレクションを持っていながら、入館料を取らないことに驚きます。

日本なら、いったいどのくらいの入館料を払わされるでしょう。

大英博物館もそうでしたが、本物を無料で見せてしまうその度量にこそ、凄さを感じます。

7月24日(木)

昨晩からキャロル・グッデンさんの家に滞在先が変わりました。 パットさん、キャロルさんと2つの家に泊まらせて貰って分かったのですが、アメリカの住宅は家の建物のサイズ的には日本と余り変わりません。「家が大きい!」と言うのは、もっと西の方に行かなくては一般的なものにならないようです。ただ家の敷地は広めで、エントランスの前庭と犬が全速で走れるくらいの裏庭があり、中流以上の家だと隣家との距離も十分にあります。

面白いのは町の区画、例えば何丁目といった区画にある殆どの家は、2~3種類の同じタイプの建物で統一されて建てられています。敷地面積もキッチリと同じくらいになっています。

一つの不動産会社が何丁目全体を統一した構想の下に開発、住宅を建設して分譲したのでしょう。

そのため、それぞれの住宅は同じくらいの値段になり、同じくらいの資産を持つ人がそれぞれの家に入ることになり、その地区全体が同じくらいのクラスに属する人で占められる訳です。

それにより、地区に住む人々は地区内における平等意識をもつことができ、"安心"を得られるみたいです。日本でも、不動産会社が一区画を大規模に開発したニュータウンは珍しくなくなりましたが、これほどの規模で開発され、住んでいる人すら間違いかねない程に統一したタイプの家でまとめて建てることは無いでしょう。 また、必ず地下室に巨大な洗濯機と乾燥機が据えられています。コインランドリーなどで見かけるような、1辺が1メートルはある立方体の箱形洗濯機で、乾燥機も同じくらいのサイズです。

これは日本の洗濯機のように、絶対に1人や2人で動かせる代物ではありません。

騒音もすさまじいモノで、まるで工事現場のよう。しかし、驚いたことにそれ以上にうるさいエアコンの音であまり気にならなくなります。そう、最大級に驚いた生活習慣はエアコンです。

アメリカの人はエアコンを文字通り、24時間無休で動かしています。外出時も停めません。

それどころか旅行に行く時も、海外旅行に行く時もつけっぱなしにするそうです。

いくら電気料金が安いせいか知りませんが、アメリカのエネルギー事情は一体どうなっているのでしょう。石油のためにイラクを攻撃したという話しを、本当なのかもと思ってしまいます。

午前中は公立学校の先生であるキャロルさんに連れられて、サマースクールの見学に行きました。

キャロルさんの学校は小学校と中学校が一緒になった一貫校で、ボルティモアのダウンタウンにあり、一見してあまり裕福でない家庭の子供たちが通っていることが感じられます。

学校のロビーに武装した警官が常駐して、入校者の所持品検査などのセキュリティ・チェックをするなど、学校周辺の治安もあまり良くないようです。 見学したのは11~12才くらいの子供たちのクラスで、明るく、好奇心に満ちた子供たちでした。

各教室にはパソコンが数台置かれるなど、さすがはネット社会のアメリカの学校です。 さらに冷蔵庫があり、子供たちがドリンク類を冷やして授業中に飲む光景はいかにもアメリカの学校の感じです。また、先生が子供に配るお菓子を用意しているのも面白い光景でした。

ここで私たちは子供たちの質問攻めに遭い、日本の様子を根ほり葉ほり尋ねられました。

また、定番の「折り紙」教室も開きました。噂通り、アメリカの子供たちは細かい作業は苦手なようですが、俊太郎君の高度なテクニックを見て何とか真似ようとするなど、負けず嫌いはなかなかのものです。また、私が携行していた正露丸など日本やアジアの薬品にも興味津々でした。

アメリカとアジアの文化の違いには、日本のアニメーションやビデオゲーム(TVゲーム)の影響もあるのか、かなりの興味を抱いていました。特に文字、アルファベットと漢字の違いにはかなりのカルチャーショックを感じたみたいです。表音文字であるアルファベットを使う彼らにとって、文字自体が意味を持つ表意文字の漢字は大変不思議なもののようです。

そこで、私が子供たちの名前を順に漢字へ訳してあげますと大変喜んでくれました。特に音を漢字に当てる際に意味にも注意して当て、漢字の意味を説明してあげるとその喜びようはさらに強くなりました。訳した私としてもこのことは大変嬉しく、良い思い出になりました。

7月25日(金)

この日は旅の疲れもあり、半日グータラしておりました。

ホストマザーのキャロルさんも"ボランティア"の仕事があるために午前中は出かけており、それをいいことに洗濯機に洗濯物を放り込んでベッドに転がり、120チャンネルもあるTVを眺めて時間を潰していました。俊太郎君の旅疲れもピークに達していたようで、それこそ死んだように寝ていました。勿体ないようですが、こんな半日も正直有り難かったです。

午後にキャロルさんが戻ると、先ずは周辺のスーパーマーケットや郊外のショッピングセンターに出かけ、建物や売り場のバカでかさや売っている物の呆れる以外にないサイズを体感しました。

そして夕方から市の芸術大学などが中心になって開催している、「芸術祭」に繰り出し

ました。

「芸術祭(Art Festival)」と銘打っていますが演劇祭や展覧会のような重い感じの祭典ではなく、参加者が自分の作品を屋台のような店で売ったり、町のレストランやカフェが屋台形式の店で飲食物を売る、日本の市や町主催の「夏祭り」に似た催しでした。

あちこちのボランティア団体がチャリティーのためのボランティア・ショップを出店しており、キャロルさんの学校でもボルティモアの飲料メーカーから寄付されたドリンク類を売り、学校の予算を助けるためのショップを校長以下、学校の教師たちがボランティアでやっていました。

アメリカの公立学校の予算は少なく、教員の給与も低いと聞いていましたが、それを補う熱意を先生たちが抱いて教育にあたっているんだということを感じました。

レストランやカフェが出している屋台の食べ物の味はなかなかのものです。

さすが移民の国らしく、インドやトルコ、ポーランドにイタリアと各国の料理店が軒を連ね、さながら味の万国博のよう。残念ながら日本食の店は出ていませんでした。

味は本格的です。ですから、インド料理などは思いっきり辛く、目が覚めるほどの激辛です。

調子に乗った私はチキンカレーにトライし、半皿で500mlのミネラル・ウォーターを空にして、さらにお代わりを買いに走りました。でも、残すようなマネはしません。完食しました!

ちなみに俊太郎君にも1口試させましたが、1口で時差ぼけが治り、眠さが消えたようです。

皆さんもアメリカを旅してバテることがあれば、ぜひインド人シェフが作るインド料理をお試し下さい!バテた体と頭にドカンという刺激が与えられ、気合いが入ること間違いありません!

7月26日(土) この日は私と俊太郎君は別行動です。

私はメリーランドの州都アナポリスへ、俊太郎君は合流された小川さんとニューヨークへそれぞれ行きました。ですから、ニューヨークのことはお二人の報告をお読み下さい。

州都と言ってもアナポリスは大きな都市ではありません。

観光の対象となる部分はさらに小さく、感覚的には鎌倉の由比ヶ浜から鶴岡八幡宮の大階段までくらいの範囲に集まっています。ちょっと小高い丘の上に3階建ての州庁舎があり、その真前にアメリカで1番古い聖公会の教会があります。この州庁舎の議場でアメリカ独立の調印がなされ、ワシントンに首都が移るまで合衆国首都を務めていた土地でもあり、古い町並みが残されていることも併せると、趣は違えども"アメリカの京都"という感じの町です。

「ワシントンはアメリカの首都、アナポリスはアメリカ人の心の首都みたいだ」と感想を伝えたところ、「うん、そんな感じだ!」と返ってきました。

さらに、アナポリスには有名な「海軍士官学校」があります。

ここも見学しましたが、空港や博物館の厳重なセキュリティ・チェックに比して、余りにも簡単かつ気楽なチェックでした。自動小銃を持った歩哨がゲート前に立っていましたが、士官学校の生徒が当番で担当していることが一目で分かり、明らかにプロの警戒ではありません。

9,11以来、真っ先にテロリストの標的にされそうな場所なのにと思いましたが、いらっしゃいと言わんばかりです。「ここは世界に冠たる合衆国海軍の士官学校だ。テロ攻撃をやれるものなら、やってみろ!」という覚悟や自負なのかも知れません。どちらにせよ、基地という雰囲気ではありませんでした。ビジター・センターなどは博物館のお土産品売り場のようで、売り場の人や当番の学生たちは一般の商店の人よりも笑顔で愛想も良く、暴力的な軍隊のイメージとの違いにとまどうような少し変な感じをうけました。

7月27日(日)

2度目の聖餐式出席です。

この日は小川さんが聖歌隊に参加して見事な美声を披露してくださいました。

礼拝の進行にもある程度慣れ、とまどいが無くなった分だけ、細かい点にも目が配れるようになりました。その結果、こちらが考えていた以上にサーバーの役割が少なく、専門的な訓練の必要が無いため、気楽にいろんな人がサーバーとして奉仕出来ることが分かりました。

先にも述べましたが、むしろ教会員の方々が果たす役割、特に司祭に代わって行う役割が多いのです。また、ミドルクラス以上の人たちは家と家との隔たりが大きくなるとともに、ご近所との付き合いも希薄になるせいか、それに代えて教会での付き合いを強め、深めているようです。

教会では普段はあり得ないようなクラスを越えた、キリストの家族としての付き合いが出来ます。

言葉も、人種の違いも関係のない、一切の壁を乗り越えた付き合いが出来るがゆえに、生き生きとした表情で教会に集い、それぞれの役割を担っているように感じられました。

夜は小川さんのホームステイ先である、マードックさん夫妻の家でお別れ会です。

ホスト・マザーのキャロルさんに連れて行って貰い、全員が揃うまで"ドミノ"ゲームをして待機です。私も俊太郎君も初めての"ドミノ"でしたが、最初は私が首位を独走しましたが、途中で俊太郎君に逆転され、決着をと意気込んだところでお開きとなりました。残念です!

続々と皆さんが現れました。

キャロルさん、パットさんにバードネルさん一家、ムーアさん一家と集まり、総勢14人です。

ナンシー・マードックさんは料理研究家で、特にベジタリアン料理に凝っているとのことで、この日のメインは"野菜焼きそば"でした。ほかにも野菜料理や、ケーキが並びました。

焼きそばのお味は大変薄味で、インパクトのあるアメリカン・テーストを連日経験させられた私としては驚きました。アメリカにも薄味の好きな人がいるんだ、そんな感じです。

ただ、ソバと具の火加減は正直参りました。

総じて、アメリカの人たちは料理の火加減については無頓着のようです。

肉も魚も、ヌードル類も火を通しすぎるように感じました。そのため、肉や魚はパサパサになり、パスタも中華麺も腰が無くなってしまいます。"生"とか、"火が通っていない"ことを警戒するあまりに、そうなるのかも知れません。この点に関しては、"生"や"レア"を平気で食べる我ら日本人にはつらいモノがあります。逆に言えばよほど日本食に慣れた人でないと、いくら知識で知っていても"スシ"や"サシミ"が食べられない人がいるということです。

歓待するあまり、そのことを失念することはありがちです。文化や慣習が異なる人がお付き合いするということは、簡単なようで結構大変なことだと思いました。

7月28日(月)~29日(火) そんなこんなで私たちのメリーランド訪問は終わりを迎えました。

10日間の滞在は本当にあっと言う間でした。 ようやく言葉が聞き取れるようになり、考えたことが口に出せるようになったのに実に残念です。

別れ際に「来年は私たちが日本を訪ねるから!」と言ってもらえたのが何より嬉しく感じました。

翌朝、私たちはボルティモア空港に送ってもらい、あわただしくも帰国の途につきました。

乗り換え地の超巨大・シカゴ空港でも迷うことなく、無事に成田行きに乗り込めました。

機内では取り立てて書くことはありません。少しセンチメンタルな気分になり、座席がこれまた見事にバラバラになったのを良いことに、静かな狸寝入りをして日本に戻ったくらいです。

そして、成田に到着したとたん、いつものように英会話能力を喪失したのでした。チャンチャン!

結びにかえて

アメリカと日本は様々なメディアのおかげで、双方の情報が比較的良く伝わっていると思います。

それでも私は、ほんのちょっとした事柄でも日米の大きな差を感じることが多々ありました。

私たちの常識がアメリカでは通用せず、またアメリカの常識が日本で通用しないということは決して少なくありません。二つの国ですらそうなのですから、地球全体ではもっと多いでしょう。

それぞれの常識がお互いの常識になった時、人間は地球に住む一つの家族・兄弟姉妹になれる、なるための大きな一歩を踏み出せると思います。そのためには月並みではありますが、お互いのことを良く知ることが大切です。何度も会って、話して、笑って、怒って、知り合う必要があり、不可欠なことでしょう。ですが、遠く離れた者同士が、知り合う努力を続けることは大変です。

今回、メリーランド訪問の機会を与えられ、私は人が知り合い、お付き合いをし続けることの大変さを知ることができました。同時に、そんなお付き合いを続けている諸聖徒教会と「王なるキリスト教会」の意思と努力の凄さを思い知りました。

また大変なことを、大変なことをしているように見せずにやっている我が諸聖徒教会と「王なるキリスト教会」は本当にスゴイい教会だと感じております。

「やっと、分かったか!」と言われそうですが、「やっと、分かりました。」としか返せません。

このような私に"スゴイ"機会を与えて下さった皆様に感謝するとともに、諸聖徒教会にお導き下さった神様に感謝致します。本当に有り難うございました!



Last Updated: 5/16/2004, by Bill Moore.